
橋本ひでのりホームページ>プロフィール
1967年 昭和42年8月28日 はしもとひでのり誕生
岩手県大船渡市で共働き夫婦の長男として誕生。おとめ座A型。とにかくやんちゃで元気。典型的な昭和のガキ大将。
昭和55年3月 大船渡北小学校卒業
野球三昧の毎日。5年生のときに県大会準優勝。6年生の時にはサヨナラホームランも。水泳も得意で市内大会で優勝。父が市議会議員だった影響で政治に興味を持つようになる。卒業文集の将来の夢は総理大臣。
昭和58年3月 大船渡中学校卒業
またも野球三昧の毎日。4番ライトで活躍するも優勝できず。2年生からは生徒会長を務める。政治家になる夢をかなえるために、県内屈指の進学校盛岡一高目指して猛勉強。
昭和61年3月 盛岡一高を卒業
ふるさと大船渡を離れて下宿生活。他人の飯を食べてみて分かることも。しかし相変わらず野球三昧の日々。それでも甲子園出場はならず。今の生き方の基礎を創ってくれた高校時代でした。
平成5年3月 慶応義塾大学を卒業
浪人生活をして東大を目指すが失敗。慶応義塾大学に入学したが、父の急逝を受けアルバイトで生計を立てることに。なんとか卒業したが、人生の厳しさを知る。結局、政治家になる方法も分からず普通に就職をすることに。
平成5年4月から平成10年12月 電源開発梶iJパワー)勤務
原子力発電所の現場を体験し、日本のエネルギー政策の危うさを痛感。一企業の範囲を超えたところで物事が決まる現実を目の当たりにし、政治への道を歩み始めることを決意する。
退職後、自民党岩手県連より要請をうけ、県議会議員選挙を目指し本格的に政治活動を始める。
平成11年4月 はじめての選挙
統一地方選挙で岩手県議会議員選挙に出馬するも惜敗。しかし、わずか3ヶ月だけの手探り選挙にもかかわらず信じられないほどのご支持を頂戴する。 支持者の皆様への心からの感謝とともに、愛する地元のために活動を続けていこうという強い動機づけとなる。その後、秘書としての政治修行が始まる。
平成11年6月 農林水産大臣 衆議院議員 玉沢徳一郎秘書
農林水産大臣 玉沢徳一郎先生の秘書として、地域活動の積み重ねを経験。政治の世界の酸い甘いを実体験する毎日。平成12年6月 の衆議院選挙、13年7月の参議院選挙では玉沢スタッフとして当時自由党の小沢一郎氏と対決!
平成13年9月 国務大臣(元財務大臣) 衆議院議員 尾身幸次秘書
尾身先生のもとで秘書として再出発。国会の事務所と大臣室の往復の毎日。生の政治を体感し、改めて政治への意欲を強める。平成14年6月にはNPO法人日中友好市民倶楽部理事に就任し、中国でボランティア活動を行う。その活動が評価され、中国天津市南開大学 日本語学部客員講師、中国日照市 人民政府 経済建設顧問に任命される。
平成15年11月 自民党大船渡市支部長に就任
4年前に続き、平成15年4月の岩手県議会議員選挙に再挑戦するも、惜敗−次点にて落選。しかし、気仙地区で最大の自民党系の後援会があることが評価され、県内最年少の35歳で支部長に就任。
平成17年8月 衆議院議員選挙に急遽出馬!!
郵政民営化を問う衆院選に白羽の矢。解散後わずか20日間の準備期間であったが急速に浸透し、約7万票を獲得するも涙をのむ。平成18年5月には自民党岩手三区支部長に就任し、活動の拠点を一関市に移す。地域活動として、青年会議所も一関市に転籍し卒業。
〜現在 地域密着型熱血政治家として、「岩手にたりないもの」をおぎない中
3度ダメでもはい上がる「はしもとひでのり」は、最近「負け組の星」とも呼ばれているようです(笑)。最近はあちこちで「勝ち組・負け組」という言葉を聞きますが、私はこの言葉が好きではありません。
世の中は、そんな単純な「勝ち」や「負け」などで決まっているはずなどなく、「失敗する」ことが「負ける」ことだとも思いません。
今日の失敗は必ずや明日につながり、自分を成長させてくれます。
なにより、3度の落選をしながら、それでも続けてきた私の政治活動の積み重ねは、
決して失敗ではなく、地元の皆様と作り上げてきた「成功への道筋」であると思っていますから。
今までもこれからも、私「はしもとひでのり」は、いろんな困難を乗り越えて、不屈の闘志で岩手を、日本をよりよくするためにがんばります!!!